2足の草鞋の履ける者には決してくぐり抜けることのできない関門。
他に自分の生きる道はない必死の思いがなければくぐりぬけられない関門。
この関門をくぐることこそが将棋を天職とする事を許し、許されること。
「将棋のプロ」になるということ。
関門は将棋に関する能力を問うだけではない、
その先にある世界がどのようなものであろうと(金が儲かる儲からないには全く関係なく)
進む道はこれしかないのかどうか、脇見をするかしないかを問われる関門であり
関門の意味は能力判別だけではなく、こちらに大きな意味がある。
以下は NIKKEI NET 将棋王国 コラムの森 羽生善治氏のコメントより
東大入試より難しいといわれる奨励会の試験を受け、
その奨励会に入ってからも六級から三段まで長い道のりを一歩ずつ上がって、
それでもプロの四段になれるのは、三段時の成績上位者が年間に2人だけという狭き門だという。
そんなふうに、プロになる厳しさを理屈で教えられても、実感としてピーンとこなかったのです。
失敗したらどうしようなどとは全然考えていなかった。
でも、12歳で奨励会に入り、現実に同期の人が辞めていったり、
お世話になった先輩たちが年齢制限にひっかかり退会せざるを得ない現実をつぶさに見るようになって、
やはり寂しい思いをしました。
伸びる、伸びないのポイントというのは本当に分からないですね。
ただ、自分では何か「キー」のようなものを見つけたときに、力が一段階上がるような気がする。
そして、突き抜けた時に見えてくる新しい将棋の風景というものがあるんです。
と同時に、まだ見えていない部分もたくさんあることが分かる。
だからこそ、将棋を続けたいという気持ちになるんでしょうね。
よく聞かれるのですが、
将棋をやっていなければ、何をやっていたのか、正直分かりません。
多分、今ごろ就職に困っていたのではないでしょうか。
バイパスを通ってきた自分が必死の思いで関門をくぐり抜けてきた者に囲まれる状況に
なっても、今の気持ちを忘れず、努力、精進を続けて下さい。